カンバーランド長老キリスト教会

めぐみ教会

東京都東大和市にあるプロテスタント長老派のキリスト教会です

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  • 2025年7月6日「換毛と発毛」エフェソの信徒への手紙4章17~32節

    今日の聖書を読みながら、私は文鳥と暮らす作家の本に書かれていた、「トヤ」の話を思い出しました。「トヤ(換毛期)」には鳥が羽を失い不安定になりますが、古い羽を手放さないと新しい羽は生えてこないそうです。この「換毛」は、古い生き方を手放し新しい人に生まれ変わる私たちの歩みに重なります。

    エフェソ書4章後半には、神が望まれない生き方がいくつか挙げられています。まず、「空しい考えで歩むな」とあります。空しいとは、目的や意味を見失ってしまう状態。コヘレト書にあるような「空しさ」と通じるものです。私たちは、何のために生きるのか、神に問われています。

    次に「怒り続けること」について。心理学では怒りは「二次感情」とされます。その根底には、悲しみや痛みがあるのです。悲しみからくる怒りのすべてを神様が否定しているとは思いませんが、私たちは怒り続けてしまうと、怒りが恨みや憎しみに変わり、ついには「もうあの人なんかいなければいい」という思いに至ることもあります。神さまは私たちの悲しみを知っておられ、怒りを手放してご自身に委ねるよう促してくださいます。

    「盗んではいけない」──これも単に物を盗むだけでなく、人の時間、気持ち、約束、神への献げものなど、目に見えないかたちでの“盗み”も含まれます。小さなことにも誠実であることが求められます。

    さらに「聖霊を悲しませてはならない」と記されています。この表現は新約聖書ではここだけ・・・旧約のイザヤ書では、神の民が神に背いたときに使われました。聖霊は見えない存在ですが、私たちの心を神に向ける助け主であり、三位一体の神の一つの位格です。その聖霊を軽んじることは、神の愛を拒む行為なのです。

    こうした否定的な生き方は、鳥で言えば「換毛しなければならない古い羽」のようなものです。それらを手放さないと、神に似せて造られた「新しい人」として飛ぶことはできません。

    一方でパウロは、「こうなってほしい生き方」も示しています。

    「キリストに学ぶ」とは、単なる知識ではなく、キリストの生き方を見て自分も倣おうとすることです。師について学ぶとは、教えを聞いて終わりではなく、その生き方を真似ていくこと。最初はうまくできなくても、キリストに近づこうと歩んでいけばいいのです。

    また、「親切で憐れみ深い者に」「互いに赦し合う者に」と語られています。これは、「神がキリストにおいてあなたを赦された」ことが理由です。キリストに学ぶなら、自然と赦しの歩みも生まれてくるのです。仮に赦せない私たちがいるなら、もしかした私たちはキリストに学んでいないのかもしれません。

    私自身、《してほしくないことリスト》はなんとか守れても、《こうなってほしいことリスト》には全然届いていないと感じます。努力しても無理、変われない、相手も変わらない…と心の中で言い訳ばかりしてしまいます。でもそうしていると、神に似せて造られた自分がどんどん生きづらくなっていく。

    パウロはこう語ります。「心の霊において新たにされ・・・神にかたどって造られた新しい人を着なさい」(23–24節)。私たちが自力で新しくなるのではなく、神によって新しく「される」のです。だからこそ、私たちは何度失敗しても、神さまのもとに立ち返って祈れるのです。「私を変えてください。キリストに学ぶ者としてください」と。 鳥の換毛期はつらく、不安定です。でも飼い主はその時期の鳥を大切に世話します。換毛は、鳥が本来の姿で生きるために欠かせない過程だからです。同じように私たちも、新しい生き方への変化を恐れずに、神に信頼して歩んでいきましょう。神さまは、「よかった、また神の国を生きやすくなったね」と私たちの成長を喜んでくださいます。そうやって、私たちは何度でも換毛し、発毛しながら、神さまと共に歩んでいくのです。  (篠﨑千穂子)             

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