本日お読みしたマルコによる福音書12章18~27節は、私にとって思い出深い箇所です。神学生のころ、神学生仲間のYくんが結婚しました。喜びにあふれた彼は旧約聖書の雅歌を説教したりするほどでしたが、ある日この箇所を読んで沈ん[…続きを読む]
2025年11月9日「妻も夫もあるもんか」マルコによる福音書12章18~27節
カンバーランド長老キリスト教会
東京都東大和市にあるプロテスタント長老派のキリスト教会です
本日お読みしたマルコによる福音書12章18~27節は、私にとって思い出深い箇所です。神学生のころ、神学生仲間のYくんが結婚しました。喜びにあふれた彼は旧約聖書の雅歌を説教したりするほどでしたが、ある日この箇所を読んで沈ん[…続きを読む]
皆さん、好き嫌いはおありですか?私は子どものころ野菜全般を食べられませんでした。そんな私が教会でカインとアベルの話を聞いて「神様も野菜が嫌いらしい」と言って野菜炒めを断り、母に怒られたことがあります。また、「アベルの供え[…続きを読む]
ガラテヤの信徒への手紙5章は「キリスト者の自由」という見出しで始まる。その表現は、宗教改革者マルティン・ルターの著書の題名にもなっている。では、私たちはキリスト者として自由であろうか。信仰生活の中で「~してはいけない」「[…続きを読む]
「聖書は神の言葉」という言葉があります。聖書は神が人に愛を伝えるために与えたメッセージです。けれども詩編は少し異なり、人から神への語りかけ――嘆きや感謝、喜びの表現――が中心です。詩編は、神と人との「関係性のことば」であ[…続きを読む]
本日お読みしたマタイによる福音書20章1~16節は「ぶどう園のたとえ」として知られる箇所です。ここには、神の国の「不思議な給与システム」が描かれています。ぶどう園の主人は朝6時に労働者を1デナリオンで雇い、9時、12時、[…続きを読む]
今日の聖書、マタイ19章13~15節を読むと、「小さい子どもはピュアだから、そういう信仰を持てという意味でしょう?」と尋ねられることがあります。そのたびに私は「子どもって全然ピュアじゃない。『子どもはピュア』は大人の幻想[…続きを読む]
みなさん毎日お祈りはしているだろうか? 教会であれ、おうちであれ。 心静かに祈ることは、自分の信じている神様とお話しする、時には対話することかも知れない。声に出さずとも、心の中で。まさに密室の祈りであろう。 それに、祈る[…続きを読む]
今日の聖書はエゼキエル書37章15節から28節です。皆さんの中に、「エゼキエル書、よく知っています!」という方はいらっしゃいますか?私も学生のころ、聖書研究会で参加者の方から「エゼキエル書を読みたい」と言われ、困ったこと[…続きを読む]
皆さんは、「やぎさんゆうびん」という歌をご存じでしょうか。「しろやぎさんからお手紙着いた、くろやぎさんたら読まずに食べた、仕方がないのでお手紙書いた『さっきの手紙のご用事なぁに』」というものです。しろやぎさんとくろやぎさ[…続きを読む]
パウロは本日の箇所で、エフェソ教会の人々に「最後に、主にあってその大いなる力によって強くありなさい」と語り、その理由を「戦いがあるからだ」と続けています。世界や身の回りには戦争や不和が溢れていますから、「戦いがあるから強[…続きを読む]