鎌倉時代に書かれた『歎異抄』には、親鸞が説いたとされる「悪人正機説」があります。「善人なほもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」…自分の力で悪から離れられない人こそ救われる、という考え方で、当時の仏教界に衝撃を与えました。この教えはマタイによる福音書9章9~13節の出来事に似ているため、「親鸞は聖書を読んだのでは?」と言われることもありますが、それはどうでしょうか。
マタイは徴税人で、本名はレビ。徴税人は当時、不正を働き嫌われていましたが、マタイの職場カファルナウムの徴税所は通行税担当で、徴税相手は主に異邦人だったといわれています。ユダヤ人を騙す機会はほぼなかったはずです。それでも嫌われたのは、異邦人と接し、安息日にも働くという宗教的理由からでした。つまり彼は倫理的に悪いことを何一つしていなかったけれど、宗教的・文化的理由で差別されていたといえるでしょう。イエスはそのマタイに「私に従いなさい」と声をかけ、食事を共にされました。ユダヤ社会での「食事を共にする」とは、「仲間として受け入れる」「汚れていない」と公に示す行為でもあります。ミシュナーには、汚れた者と食事した者は共同体から排除されると記されます。イエスはその覚悟をもってマタイや罪人たちと食事されたのです。親鸞の言う「悪人」は道徳的に悪い人を指しますが、ユダヤ社会の「罪人」は律法を守れない事情を持つ人、すなわち徴税人、羊飼い、遊女、病人、異邦人などを指す言葉でした。自分の責任ではないのに差別され、社会から排除された人々です。両者に共通するのは、他者から裁かれ、自分でも自分を裁くようになり、光を避け、自分は愛される価値がないと思いこんでしまった人々だ…ということです。こうの史代さんの漫画『夕凪の街 桜の国』では、被爆から生き延びた女性が「死ねばいいと思われても仕方ない人間に自分はなってしまった」と語る場面があります。被爆の経験と差別が「生きる価値がない」と彼女に思わせてしまったのです。これは新約時代の徴税人や、今を生きる私たちの誰にでも起こり得ます。イエスは言われます。「私が求めるのは慈しみであって、いけにえではない」。慈しみとは思いがけない神の恵みを指す言葉で、いけにえは死を連想させる言葉です。つまり「私は神の恵みを与えることこそ願っているのであって、罪人と差別される人の死なんて望んでいない」とイエスは言うのです。そして「行って学びなさい」と告げます。これはラビが使う定型句でした。「私は神の恵みを与えることこそ願っているのであって、罪人と差別される人の死なんて望んでいない」という言葉のあとの「行って学びなさい」という定型句は、「あなたはその愛を実践できているのか」と突きつける挑戦でもありました。ファリサイ派やユダヤ人は、この言葉を痛烈な皮肉として受け止めたことでしょう。私たちはどうでしょうか。もしこの言葉に痛みを感じないなら、私たちは聖書を「他人事」として読んでいる危険があります。
冒頭で私は、親鸞は聖書を読んでいたかという問いかけをしましたが、結論からいえば親鸞は日本にキリスト教が伝わる約400年前を生きた人物ですから、その可能性は極めて薄いと思われます。それでも彼が聖書と似た考えを説いたのは、人が神のかたちに造られた存在だからです。神のかたちに造られた私たちは、よほどのことがない限り、善悪について同じような考え方を持ちます。信仰の有無にかかわらず、多くの人は「人を愛すことは正しいし、ないがしろにしてはいけない」と感じます。私たちは皆、等しく神の前に尊厳をもった存在として造られました。だから、異なる背景を持つ人とも食事を共にし、手をつなげるはずなのです。神の恵みは「罪人」と差別され「死がふさわしい」と思い込まされた人々にも注がれています。けれども、私たちの心には色眼鏡があります。私も、ある人々を色眼鏡をかけてみてしまうときがあります。すると、食事も手をつなぐこともできなくなるのです。そんな私にイエスは言われます。「私が願うのは神の恵みを与えることであって、罪人の死ではない。あなたはその愛を実践できているのか……行って、学びなさい。」今日は平和の主日です。平和は、自分の色眼鏡を少し疑うことから始まるのかもしれません。神の目で人を見、小さな平和を生み出す者とされますように。(篠﨑千穂子)