「聖書は神の言葉」という言葉があります。聖書は神が人に愛を伝えるために与えたメッセージです。けれども詩編は少し異なり、人から神への語りかけ――嘆きや感謝、喜びの表現――が中心です。詩編は、神と人との「関係性のことば」であ[…続きを読む]
2025年10月19日「バベットの晩餐会」詩編133編1~3節

カンバーランド長老キリスト教会
東京都東大和市にあるプロテスタント長老派のキリスト教会です
「聖書は神の言葉」という言葉があります。聖書は神が人に愛を伝えるために与えたメッセージです。けれども詩編は少し異なり、人から神への語りかけ――嘆きや感謝、喜びの表現――が中心です。詩編は、神と人との「関係性のことば」であ[…続きを読む]
本日お読みしたマタイによる福音書20章1~16節は「ぶどう園のたとえ」として知られる箇所です。ここには、神の国の「不思議な給与システム」が描かれています。ぶどう園の主人は朝6時に労働者を1デナリオンで雇い、9時、12時、[…続きを読む]
今日の聖書、マタイ19章13~15節を読むと、「小さい子どもはピュアだから、そういう信仰を持てという意味でしょう?」と尋ねられることがあります。そのたびに私は「子どもって全然ピュアじゃない。『子どもはピュア』は大人の幻想[…続きを読む]
みなさん毎日お祈りはしているだろうか? 教会であれ、おうちであれ。 心静かに祈ることは、自分の信じている神様とお話しする、時には対話することかも知れない。声に出さずとも、心の中で。まさに密室の祈りであろう。 それに、祈る[…続きを読む]
今日の聖書はエゼキエル書37章15節から28節です。皆さんの中に、「エゼキエル書、よく知っています!」という方はいらっしゃいますか?私も学生のころ、聖書研究会で参加者の方から「エゼキエル書を読みたい」と言われ、困ったこと[…続きを読む]
皆さんは、「やぎさんゆうびん」という歌をご存じでしょうか。「しろやぎさんからお手紙着いた、くろやぎさんたら読まずに食べた、仕方がないのでお手紙書いた『さっきの手紙のご用事なぁに』」というものです。しろやぎさんとくろやぎさ[…続きを読む]
パウロは本日の箇所で、エフェソ教会の人々に「最後に、主にあってその大いなる力によって強くありなさい」と語り、その理由を「戦いがあるからだ」と続けています。世界や身の回りには戦争や不和が溢れていますから、「戦いがあるから強[…続きを読む]
先週はエフェソ書5章で「妻と夫」の関係を見ましたが、今日はその続きとして「子と親」「奴隷と主人」について考えます。皆さんは「ハラスメント」を経験されたことがあるでしょうか。私が新卒で入社したころ、まだこの言葉が出始めたこ[…続きを読む]
今年の5月から、めぐみ教会ではエフェソ書の連続説教を行っています。それを話すと、友人から「エフェソなんて読んでるの?」と少し嫌そうな顔をされることがあります。曰く、「『妻は夫に従いなさい』って書いてあるからモヤモヤする。[…続きを読む]
ヨナは神様に怒り、反抗する、まるで幼子のような預言者です。でも、この物語で一貫しているのはヨナと神様の結びつきの強さです。この親子のような信頼関係があるからこそ、ヨナは神様に反抗もし、従いもし、怒りをぶつけようともするの[…続きを読む]