本日からエフェソ書4章に入ります。今回の箇所でまず印象に残ったのは、「一」という言葉がとても多く出てくることです。「霊による一致」にはじまり、「体は一つ」「霊は一つ」「一つの希望」「主は一人」「信仰は一つ」「洗礼は一つ」[…続きを読む]
2025年6月22日「なまはげのいる教会」エフェソの信徒への手紙4章1~16節

カンバーランド長老キリスト教会
東京都東大和市にあるプロテスタント長老派のキリスト教会です
本日からエフェソ書4章に入ります。今回の箇所でまず印象に残ったのは、「一」という言葉がとても多く出てくることです。「霊による一致」にはじまり、「体は一つ」「霊は一つ」「一つの希望」「主は一人」「信仰は一つ」「洗礼は一つ」[…続きを読む]
エフェソ書3章前半では、パウロが自らを「キリスト・イエスの囚人」と称しています。そして、今日の箇所では、「囚人パウロ」が祈っている姿が描かれています。彼はこの手紙の中で、四つの次元にわたる祈りを献げています。彼の祈りとは[…続きを読む]
本日はペンテコステ礼拝です。ペンテコステとは、ユダヤの三大祭りである五旬祭の日に、初代教会の人々に聖霊が降った出来事を記念する日です。使徒言行録2章はこの出来事を、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から起こった」と[…続きを読む]
エフェソの信徒への手紙3章は「このようなわけで、私パウロは、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっています。」という言葉から始まります。意味深な言い回しです。「囚人」という言葉自体、一般的にあまり良い印象の[…続きを読む]
私の友人で「神の家族」という言葉が大嫌いな人がいます。「『神の家族』とかいうくせに、教会の人に助けを求めても全然助けてくれなかった。『神の親戚』なら現状に近いし、諦めもつくのに。」というのです。彼女のいうことに一定の理解[…続きを読む]
エフェソ書の1章では神様の先行した恵みと愛が強調されてきましたが、2章に入ると、「過ち」「罪」「死」「不従順」「肉の欲」「神の怒り」といった、不穏な言葉が目立つようになってきます。これまで優しく温かく穏やかな眼差しを私た[…続きを読む]
今日お読みした聖書では、手紙の書き手であるパウロが感謝の祈りを献げるところから始まります。私は祈りと聞くといつも思い出すことがあるのですが、それはある壮年クリスチャンの方が、「祈りは他力本願みたいで苦手だ」と言っておられ[…続きを読む]
エフェソ書1章1~14節…私はこの箇所を読むと、昔ながらの童歌「はないちもんめ」を思い出させられます。子どもの頃、私はあの遊びが好きではありませんでした。選ばれたり選ばれなかったりという遊びが、なんとも寂しく思えたからで[…続きを読む]
今日お読みした聖書には、さらりと不思議なことが書かれています。普通、私達は何かを信じるとき、「見る→理解する→信じる」というプロセスを経るように思いますが、復活の朝にイエスの墓にやってきたヨハネは「見る→信じる→理解して[…続きを読む]
今日は十戒の最後、出エジプト記20章17節を見ていきます。「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲してはならない。」私にはこの戒めを読むたびに思い出すエピソードがあります。10年ほ[…続きを読む]