カンバーランド長老キリスト教会

めぐみ教会

東京都東大和市にあるプロテスタント長老派のキリスト教会です

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  • 2025年2月23日 「真実な祈願」 列王記下5章1~14節・マタイによる福音書15章21~28節

    主イエスはティルスとシドンの地方、ユダヤ民族の境界外に赴かれました。この地に、ユダヤ人たちは決して追いかけてこないし、熱心な群衆もいません。

    ところが、意外な人が追いかけてきました。異邦人であるカナンの女は、悪霊に取りつかれた娘をいやしてくれるように懇願しますが、イエスは何も答えません。叫ぶ女を見て、ついに弟子たちが「追い払ってください」と願い出ますが、主は弟子の願いを拒否します。「私は、イスラエルの家の失われた羊のところにしか使わされていない」。

    カナンの女の願いをかなえたくても、今はまだできない。このジレンマからイエスを救い出したのは、女の機知に富んだ信仰です。27節で彼女は、イエスの言葉に同意しながら、「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と答えます。女は冷静に、主イエスの一枚上を行くのです。「あなたは私たちの神です。私たちを助けないわけにはいかないのではないですか。そう祈ったのです。あなたはただイスラエルの民の神だけではないのです。私の神でもあるのです。とこのカナンの女は言い張ったのです。

    女は、主イエスの言葉を用いながら上手に軌道修正して、自分の主張に結びつけました。そして、三度「主よ」とイエス・キリストに訴えかけます。小犬は主人の子どものパンを横取りしたのではない。食卓から落ちたくずを食べるのである。4人の子どもを育てた牧師が、「子どもは食べ物を口に運びながらぼろぼろこぼすのです」と語っていたことを思い出します。

     今、この母親は、ただ「主の憐れみ」にたよりました。この母親には信仰がありました。ただ主の憐れみを信じて、体当たりでぶつかっていきます。女は、「やって来て、ひれ伏し」。女は「出て来て」、「叫んで」、なおもあきらめずに、イエスに近づきます。そして、「そうです主よ」と言って、主の御言葉を肯定します。しつこさに、この謙虚さが必要です。しかし、イエスへの謙虚さは、「でも」と言って食い下がります。「にもかかわらず」の信仰です。信仰の小さい弟子たちに対し、信仰の大きい異邦人の女。そうでありながら、主イエスの語ることを理解し、どこまでも謙虚に、しかしあきらめずにイエスに向かって行き、主は女の信仰を賞賛し、願いを聞き入れて娘は癒されました。

    また、イエスが語った言葉は謎めいていましたが女は見事に理解しました。信仰による霊的洞察力があったのです。それにより、異邦人であることを見事に克服することができました。私たちの小さな頭の中にしか存在していない神。しかし神はもっと大きいのです。この女は、イエスの大きな恵みを期待しました。そのような信仰は大きいのです。

     「あなたの信仰は大きい」と主イエスは言われました。口語訳は「あなたの信仰は見あげたものである」となっていました。主イエスのことなどろくに知らない、ユダヤ人でもない、この異邦の女の信仰を、「大きな信仰」と呼ばれたのです。さらに何と言われたでしょうか。「あなたの願い通りになるように。これも直訳すると、「あなたの身の上に、あなたの願っている通りのことが起こるように」というのです。このようなことまで、主は言われたのです。

    この女は、それほど立派なことを願ったのでしょうか。そんなことはない。娘の病気が治ってほしいという、誰もが持っている願いなのです。イエス・キリストのことを知らない人間でも願う、その願いの通りに、あなたの身の上に事が起こる、とお約束になったのです。そして、事実そうなりました。女の喜びはどんなであっただろうと思います。不思議ことです。

    イエス・キリストは、真実な思いには真実をもって応えてくださるのです。私たちも、この女のように食い下がっていく信仰をもちたいと思います。いまここで、信仰を大きくして、大きな恵みを受け取りたいと思います。

    めぐみ教会において、小さなわざに生きるお一人お一人によって、大きな信仰の教会になる。それが、本当の意味で、教会が大きな教会になる道であると思います。お祈りをいたします。(関伸子・東小金井教会牧師)

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