カンバーランド長老キリスト教会

めぐみ教会

東京都東大和市にあるプロテスタント長老派のキリスト教会です

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  • 2025年3月16日「男と女のあいだには」出エジプト記20章14節,マタイによる福音書5章27~30節

    私が思春期真っ盛りのころ、ちょっとやんちゃな男子が、中高生会でこんな質問をしたことがありました。「最近彼女ができました。どこまでならOKですか?」ぎょっとしました。彼は当然、「クリスチャンは性的なことはどこまでならOKですか。」と聞いてきたわけです。当時中高生会のスタッフをしていた年配の男性が、顔を真っ赤にしながら「十戒の7つ目を読みなさい。」と言っておられました。私もその時には「そうだそうだ!」と思ったのですが、後になって読んでみても、正直ピンときませんでした。「姦淫」という言葉の意味がはっきり分からなかったからです。随分と時を経ましたが、今回「姦淫ってなんだろう?」と思い、改めて調べてみました。

    通常姦淫とは、「男女の不正な交わり」つまり「不倫」のことを言うのだと、広辞苑に書いてありました。一方、旧約律法では姦淫とは、「結婚(あるいは婚約)をしている女性が、夫(あるいは婚約者)以外の男性と性的な関係を持つこと」を言ったのだそうです。現代と旧約律法の「姦淫」の定義は一見違いがなさそうですが、よく読むと、男女の扱いに随分差があることに気づかされます。旧約律法では既婚の女性に対して不倫が戒められているのに対し、男性側には、「男性が既婚であっても相手の女性が既婚でなければOK」という随分緩い規定しかありませんでした。ここから分かることは、この姦淫禁止命令は、どうやらイスラエルの性的道徳を守るために存在していたわけではないということです。問題の鍵は、当時の強い家父長制度にあります。成人男性しか人の数にすら数えられなかった古代イスラエルでは、妻は夫の所有物と見なされていました。家や家畜と同様、モノ扱いされてきたということになります。ですから、姦淫禁止命令が守ろうとしていたものは、イスラエルの性的道徳ではなく、イスラエル共同体における財産所有権でした。妻は夫の所有物だから、妻を盗むことで所有権を侵害したら罰則規定が与えられたのです。もちろん、盗みが横行する社会は秩序が乱れて、神の国を建てあげるどころではなくなってしまいます。秩序安定のために姦淫が禁止されたということは頭ではわかるものの…現代の私たちの感覚では、「妻は夫の所有物である」と言われると、やっぱり違和感を覚えるのです。この違和感の解決を聖書に求めようとするならば、私たちはイエス様の山上の説教を待つ必要があります。

    マタイ5:27~30は「情欲を抱いて女性を見ることも姦淫だ!」と主張していて、一見更に厳格な性道徳に対しての規定に見えます。聖書は性の全般を汚れたもののように見えているようにすら思えてきます。けれども、雅歌を通して、私たちは神様が性を良きものとして扱っておられることを知ることができます。それではイエス様がここでこんなに厳しい戒めを告げられたのはどうしてでしょうか。この戒めの対象が男性に限定されているところに注目が必要です。先ほどから申し上げているように、この第七戒は性的道徳を守るためではなく、男性の財産所有権を守ることで社会秩序を維持するために存在していました。けれども創造の昔、神様は男女を対等に造られました。エバはアダムの「助け手」であったけれど、それは本来従属物を示す言葉ではありません。夫婦関係において女性がモノのように扱われるのは、神様の意志ではなかったのです。だから、イエス様は女性を欲望の対象やモノとしてしか見なかった当時の男性たちに痛烈な皮肉を込めて仰るのです。「右の目が躓かせるなら、えぐり出して捨てよ。右の手が躓かせるなら、切り取って捨てよ。」こうして女性を等しく隣人として大切に扱うように、と戒めます。

    冒頭で申し上げた「最近彼女ができました。どこまでならOKですか?」という質問に当時のスタッフは「十戒の7つ目を読みなさい。」と一生懸命答えてくださったけれど、残念ながら十戒は道徳の教科書でも保健体育の教科書でもありませんから、誰にでも適用できる直接的な答えを見出すことはできません。けれども、秩序安定のための第七戒が、イエス様によって「女性を等しく隣人として大切にせよ」という意味に更新されました。そのことを覚えて、どうすることが交際相手や周囲の人々を隣人として大事にすることになるのかを、祈りつつ考えていくことはできるでしょう。男と女の間には、旧約律法においては深くて広い川が流れていました。けれども本当はどちらも尊重されるべき一人ひとりで、隣人として貴ばれるべき間柄です。「姦淫してはならない」の本質的な意味を理解して、あらゆる弱い立場の方を隣人として敬い、今日もお互いの尊厳を大事にしていく私たちでありますように。(篠﨑千穂子)

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