カンバーランド長老キリスト教会

めぐみ教会

東京都東大和市にあるプロテスタント長老派のキリスト教会です

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  • 2025年6月15日「四次元からの手紙」エフェソの信徒への手紙3章14~21節

    エフェソ書3章前半では、パウロが自らを「キリスト・イエスの囚人」と称しています。そして、今日の箇所では、「囚人パウロ」が祈っている姿が描かれています。彼はこの手紙の中で、四つの次元にわたる祈りを献げています。彼の祈りとは、どういったものだったのでしょうか。

    まずパウロは、14節から17節にかけて『内側の次元』の祈りを献げています。キリストがエフェソの人々のうちに住んでくださるようにという祈りは、「人々の心にキリストが寄留者のように住む」のではなく、「心の家長として住む」ことを願うものです。私たちは知らず知らずのうちに、イエス様を心に迎え入れたつもりでいながら、自分の価値観を優先してしまい、イエス様を「心の寄留者」にとどめてしまうことがあります。パウロはここで、イエス様を「心の家長」、すなわち人生の中心として迎え入れることを祈っているのです。

    二つ目は、『悟りの次元』です。「人知を超えたキリストの愛を知る」とは、原文では「本来人には知りえないことだけれど、神の助けによって知ることができるように」というニュアンスで表現されています。あのパウロにさえ「到底知ることはできない」と言わざるを得なかったほどに、キリストの愛は大きく、計り知れないものでした。また、この手紙がすでにイエス様を信じていたエフェソ教会の人々に宛てて書かれたことを考えると、神様は「キリスト者になっても、こんなことも知らないのか」と怒られる方ではなく、「神を知りたい」と願う私たちの心を喜んでくださる方であることが分かってきます。また、パウロはキリストの愛を「広さ・長さ・高さ・深さ」という四方向で表しました。これは、ギリシャ世界の人々が「空間的な無限」や「抽象的な広がり」を大切にしていたからです。パウロは異邦人にも伝わるように、神の愛をあらゆる方向に広がるものとして表現しました。つまり、神の愛は文化や国境、背景を越えて、すべての人々に届けられるべきメッセージなのです。キリストの愛は、私たちの想像をはるかに超えた広がりを持っています。

    三つ目は、19節の『満たしの次元』です。パウロは「神の満ちあふれるものすべてに向かって満たされますように」と祈っていますが、これは彼にとって非常に大胆で、思い切った祈りでした。律法を重んじるファリサイ派に属していた彼にとって、きわめて聖である神の性質を、罪にまみれた人間が共有するだなんて、到底考えられないことだったからです。当時の常識からすれば、彼の祈りは「人の分を越えた、不敬極まりない祈り」であったことでしょう。けれどもパウロは、「キリストが心の家長として住んでくださるようになり、その愛を四方八方にわたって知るようになったとき、神ご自身が私のうちに満ち満ちることは、実際に起きる。それを祈り求めることは正しいことなのだ」と主張します。この祈りには、古い価値観から新しい信仰に生きる者へと変えられた、パウロ自身の信仰の転換が表されています。

    最後に『栄光の次元』です。パウロはここまで、愛するエフェソの人々のために祈ってきましたが、ここにきて神のために祈りを献げます。20節から21節の祈りは、「頌栄」と呼ばれる、神に栄光を帰す祈りです。私たちめぐみ教会では、罪の告白と赦しの確証のあとに「頌栄」を献げていますね。パウロはこの「頌栄」を、私たち個人のものではなく、教会に託されたものであると語るのです。ここから分かるのは、教会とはキリスト者にとって、ただ心の安らぎを得たり、自分の居場所を求めたり、ましてや自分の思い通りに動かしてよい共同体ではないということです。教会は「神の栄光を祈る共同体」です。もちろん、教会において安らぎや居場所を得たり、自分が求めている教会形成に携われることは、大きな恵みです。けれどもそれは、神の栄光を祈り、福音に生きる歩みの中で結果として与えられる、二次的な実りにすぎません。私たちが目指す目的ではないのです。私たちはまず、神との関係を回復させてくださったキリストを頭とする教会として、神の栄光を祈り続ける共同体でありたいと願います。

    パウロは、『内側の次元』『悟りの次元』『満たしの次元』『栄光の次元』という四つの次元で祈りを献げてきました。これは神様がパウロを通して私たちに教えてくださった、「こう祈るといいよ」という手紙のようなものです。ですから私たちも、こんなふうに祈ってみませんか?「神様、私の心にイエス様を家長としてお迎えさせてください。わからないことが多い私ですが、イエス様を理解させてください。神様で満たさせてくださいと祈れる恵みをありがとうございます。私が教会でやりたいことを望むのではなく、この教会で神様の栄光を求めさせてください。できれば今日、その一歩を踏み出させてください。」と。(篠﨑千穂子)

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