私たちめぐみ教会では、今年からエズラ記を読み続けています。イスラエルの人々は神をないがしろにし、バビロン捕囚を経験しましたが、神のあわれみによってエルサレムへの帰還が許されました。今日の箇所には、その中でも礼拝に関わる人々の名前が記されています。私はこのエズラ記2章を読んでいたら、この人たちの姿に、毎週礼拝に集う皆さんのお顔が重なって見えてきました。
まず祭司たちです。エズラ記2章には、4289人の祭司が帰還したと記されています。祭司は神殿礼拝を担う中心的存在で、捕囚の地でも比較的守られた立場にありました。しかし実際に帰ってきた家系は、24あった祭司家系のうち4つだけでした。しかも、その中には後に「外国人との結婚」をめぐって裁かれる人々もいます。バビロンにいれば問われることもなかったはずの問題を抱えながら、それでもエルサレムへ戻った彼らの姿に、私は祭司としての誇りと神に仕える献身を感じます。次にレビ人です。レビ人は神殿礼拝を裏から支える人々でしたが、帰還者はわずか341人でした。もともとレビ人は土地を持たず、献げ物によって生活を支えられていました。しかし捕囚と神殿崩壊の中でその仕組みは成り立たなくなり、レビ人として生き続けることが困難になった人も多かったのでしょう。その結果、戻ってきた人数は少なかったのかもしれません。けれども、この341人は「それでも神殿のために仕えたい」と願い、献身の道を選び取った人たちだったと考えると、この少なさにも励まされる思いがします。さらに、「神殿に仕える者たち」と「ソロモンのしもべ」と呼ばれる人々がいます。彼らは社会的に最も低い立場に置かれていた奉仕者で、多くは外国出身の人々の子孫でした。かつてイスラエルが他国の人々を捕囚にして用いていた歴史を思うと、今度はイスラエル自身が捕囚される側になったという皮肉も感じさせられます。しかし出エジプト記には、外国人であっても神の民の一員として生きる道が示されています。彼らもまた共同体の一員として捕囚の苦しみを共にし、エルサレムへ帰っていきました。その人数は392人で、レビ人よりも多かったのです。
ここまで見てくると、社会的に立場が強かった祭司たちは多く帰還できた一方、経済的基盤の弱かったレビ人や、外国にルーツを持つしもべたちは、戻れた人数がごく少なかったことが分かります。この名簿の背後には、「戻りたくても戻れなかった人たち」や、「生活のために信仰を手放さざるをえなかった圧倒的多数の人たち」がいたのではないか――そんな思いが胸に浮かびます。これを現代の教会に重ねると、社会的・経済的に安定した人や、いわゆる“クリスチャン家庭育ち”の人だけが集いやすい教会になってはいないか、と問われているように感じます。すべての人が招かれている教会であり続けることは、どの時代にも課題なのです。
その一方で、「それでもエルサレムに帰った人たち」が抱えていた事情にも目を向けたいと思います。しもべたちは、再び厳しい生活に戻るかもしれない不安を抱えていました。レビ人たちは、献げ物による支えが本当に回復するか分からない状況に置かれていました。祭司たちは、帰還すれば糾弾されることが分かっている問題を抱えていました。それでも彼らは、神に仕えるために帰っていったのです。
私たちもまた、それぞれの事情を抱えながら、時には「教会に来られなくても仕方がない」と自分で自分に言い聞かせることができる状況の中で、それでも神と隣人に仕えています。教会にいるからといって特別に評価されるわけでも、社会的に有利になるわけでもありません。めぐみ教会にはゆかいな仲間がいっぱいいますが、いつでもゆかいでいられるわけでもありません。私たちもまた、痛みや重荷を抱えながら、それでも礼拝に集い、それでも祈り、それでもここに居続けています。その姿こそが、2500年前のエズラ記に記された名簿と静かにつながっているように思えるのです。そしてそのつながりの中へ、今日も神さまは私たちを招いてくださっています。このエズラ記の名簿の続きを、今ここで、私たち自身の歩みとして刻んでいきたいと願います。(篠﨑千穂子)
