カンバーランド長老キリスト教会

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  • 2026年2月15日「Youはどこからイスラエルへ」エズラ記2章59~63節

    今日の箇所に登場する帰還者リストは、「自分がイスラエル人であることを証明できなかった人たち」、「祭司であることを証明できなかった人たち」です。大まかな出自は推測できても、正式に証明できない。そのため「どこから来たのか分からない人」として扱われてしまった人々の名簿、それが今日の箇所です。

    59~60節には、イスラエル人であることを証明できなかった人たちの名が並びます。デラヤ、トビヤ、ネコダ。いずれもユダヤ的な名前で、おそらく多くの人は「家系図を失っただけで、本当はイスラエル人なのだろう」と思ったことでしょう。それでも系図がなければ、土地の権利を主張することはできませんでした。イスラエルにとって土地は神から与えられた約束の地であり、部族と家系の中で受け継がれるべきものでした。捕囚から帰還した人々にとって、先祖の土地を取り戻すことは切実な願いでしたが、系図を失えばその証を立てられません。住む場所も、選びの民としての誇りも危うくなる。それでも彼らはエルサレムへ帰りました。その情熱に私たちは励まされる思いがしますし、また彼らを受け入れた共同体の姿にも慰めを覚えます。正体が完全には分からない人を受け入れるのは、大きなリスクを伴うものです。しかも、戦後帰還する最初の一団です。私が指導者なら、このタイミングで正体不明の人々を受け入れるのは躊躇するでしょう。それでもイスラエル共同体は彼らを迎え入れました。そこに、本来の信仰共同体の姿を私たちは見るのです。

    続いて61~62節には、祭司であることを証明できず、務めから外された人々が記されています。ホバヤ、ハコツ、バルジライ。特にバルジライ家は、遠い昔ダビデ王を助けた名門に由来する名を持つ家でした。そんなバルジライ家の女性をある祭司が妻として迎え入れます。そして家名を「バルジライ」に変えた結果、彼がアロンの子孫である証が曖昧になってしまったのです。祭司職はアロンの家系に限られた特別な務めでしたから、血筋を証明できなければ続けることはできませんでした。厳しく感じられますが、それほど神殿の務めは重く、信仰共同体の秩序は重んじられたのです。信仰共同体の秩序を守ることは、時に痛みを伴います。礼拝を大切にし、教会の定めに従い、神を神としてあがめ続けること。それらは単なる形式ではなく、共同体を守るために必要な「かたち」です。秩序があるからこそ、礼拝は礼拝として保たれ、教会は教会として立ち続けることができます。

    一方63節で総督は、「ウリムとトンミムを身に着けた祭司が現れるまでは(正式な祭司が立てられるまでは)、最も聖なるもの(祭司しか食べてはならないとされた食物)を食べてはならない」と彼らに命じてます。これは祭司職を失った人々に復職を禁じる厳しい言葉のように聞こえますが、よく見ると、「ウリムとトンミムを身に着けた祭司が現れるまでは」とあることに気づかされます。これは言い換えるならば、「正式な祭司が立てられたならば、祭司復職が叶うかもしれない」という含みであるともいえるでしょう。もちろんこれは、「必ず祭司に復職できます」という確約ではなく、わずかな可能性を示したにすぎません。それでも、彼らにはその可能性が小さな光のように見えたのではないでしょうか。神が人に与えられるのは、いつも小さな光です。その光に信頼して人生を賭けてみるようにと、私たちはいつも招かれているのです。祭司職を失っても帰還を選んだ人々の姿は、その信仰を私たちに教えてくれています。

    このエルサレム帰還事業は「第二の出エジプト」とも呼ばれます。帰ってきたのは誰から見ても「立派な人々」ばかりではありませんでした。外国系の名を持つ人、社会の底辺にいた人、将来が不安な人、住む場所も確かでない人、祭司の名を失った人。事情も傷もばらばらな人々の群れです。それでも神は彼らを迎えられました。「よく帰ってきた」と腕を広げる父なる神の姿がそこにあります。私たちもまた、出自も事情もこれまでの傷もさまざまなまま、同じ神の国へと招かれています。互いの背景をすべて知らなくても、「どこからきたの?」なんて野暮なことを聞かなくても、神に愛されていることを確かめ合える群れ。神が「よく帰ってきた」と迎えてくださるように、私たちもまた互いを迎え合う教会でありたい。そのような共同体として、神のあたたかな招きに応えて歩んでいきたいのです。(篠﨑千穂子)

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