カンバーランド長老キリスト教会

めぐみ教会

東京都東大和市にあるプロテスタント長老派のキリスト教会です

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    東京都東大和市上北台3丁目355-4
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  • 2025年1月26日「待てませんでした…」出エジプト記20章4‐6節

    本日はめぐみ教会32周年の礼拝です。

    神学生時代、私は「十戒違反らしきこと」をしたことがあります。校長先生が長期出張の際、「私のいない間に悪さをしないように」と言い残して旅立たれたのですが、「悪いことなんてしないもんね~~。」と言いながら、友人と「金の子牛の作り方」とインターネットで検索をして、金の子牛像を造ったのです。それを校長室前に置いて、「待てませんでした…」とメッセージを添えて帰国した先生をお出迎えしました。先生は苦笑いしながらも喜んでくださったけれど、出エジプト記20章4~6節を厳密に守ろうとするなら、もしかすると私たちのしたことは十戒違反だったのかしら…と少しドキドキします。

    出エジプト記20章4節は彫像を造ることを禁止する戒めですが、逆に言えばこの箇所は当時の人々が彫像を造っていたことを示していると思われます。当時、イスラエルの人々がかつて暮らしていたエジプトでも、そしてこれから入ろうとしていたカナンでも、多くの神々の彫像が作られ拝まれていました。そしてそれは、自分が拝んでいる神々からこの世界の支配権を賦与してもらうためだったそうです。言い換えるならば、「自分のため」の信仰です。けれども神様は「自分のため」の信仰を嫌われます。自分で人生を支配するのではなく、神様が自分の人生になしてくれる適切さを知ることを求めておられるのです。もちろん、神様は「自分の幸せを追求してはいけない」と言っているわけではありません。神様は私たちが神の国で伸び伸びと幸せに生きることを願っておられます。けれども、「自分のため」が高じて、「自分の幸せのため神をコントロールする」ことは戒められるのです。だから、「自分の思い通りにことを進めたいがために、神のようなものを造ってはいけない。それを拝んではいけない。」と言われています。もし「自分の思い通りにことを進めたい」という動機で私たちが何かの像を作るとするならば、その像が仮に父なる神様やイエス様やご聖霊の像であったとしても、出エジプト記20章4節の戒めを無視する行いとなります。私たちが、自分を支配したり操作しようとする人と信頼関係を結ぶことができないように、神様も私たちが神様を支配したり操作したりしようとするなら、私たちと信頼関係を結ぶことが難しく思われるのです。神様は私たちとの関係性をとても大事にしておられる方です。

    ところで20章5節6節には、彫像禁止の戒めを破った人と守った人とがどうなるかが描かれています。「自分の願いをかなえるための彫像を造ってはならない。拝んではならない。」という戒めを破った人には、三代四代あとまでもその罪が問われるとあります。「戒めを破ったらお前の孫子の代まで呪ってやる」と言われているようで、ちょっと怖いなと思いました。けれども、「三代四代」とは当時のパレスチナの通常の家族形態を表しています。もし、ある家のひいおじいちゃんが、ある神々の像を造って自分の願いをかなえるために拝んでいたら、きっとその子や孫も同じ行動をするようになって、父なる神様との信頼関係を滅茶苦茶に壊す結果となっていくでしょう。この5節6節が語っているのは、罪の結果についての描写であると考えられます。一方で神様は、「私を愛し、その戒めを守る者には、幾千代にわたって慈しみを増す。」と語られます。幾千代とは数限りなくという意味です。罪の結果が非常に限定的な範囲であるのに対し、慈しみ(=恵み、思いがけない神様の愛情)の約束には限りがない…これが私たちの信じる神というお方です。

    私たちは時折神様のことを待てないことがあります。神様が自分の主だと分かっているのに解決が得られなかったり、神様の愛を感じられなかったりということが続くと、やがて神様を信頼できなくなるし、そんな自分の状態に違和感を覚えることもなくなっていく…けれどもそれは、消極的な「自分のための彫像を造る」ということなのかもしれません。神様は私たちがこういう行動をするときに、私たちにきちんと罪の責任を取らせはするけれど、変わらず恵みを注ぎ続けてくださる方です。私たちがかつて神様を信頼しなかったことをなかったことにしてくださる方です。思いがけない分不相応な愛情を示し続けてくださって、私たちをイエス様の似姿に変えてくださる方です。こんな恵みの神様から、私たちは「自分で自分の人生を支配しようだなんてしないでね。」「そんなことをして、私との関係を壊さないでね。」と言われています。私たちは自分で自分の人生や隣人を支配するのではなく、神様のなさりように信頼をしたいと思います。私たちが神様を待てなくても、神様は私たちのことを忍耐して待ち続けてくださる方です。この主だけを仰ぎ見て、今日めぐみ教会32年目の歩みを皆さんと共に踏み出していきたいと願います。(篠﨑千穂子)

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